Story

部長が、答えを言うのをやめた話

商社・大手 部長・50代 人間関係

「部長、これどうしましょう」

その日、五回目だった。

相田は書類から目を上げて、内容を三十秒見て、答えた。

「先方の担当を飛ばして、部長決裁に上げてもらえ。あそこは担当で止まる」

部下は「分かりました」と言って、戻っていった。

五十五歳。総合商社の資源部門で、部長になって四年目になる。


相田は、答えるのが速い。

三十年やってきた分野で、たいていの案件は過去のどれかに似ている。だから即答できる。それが自分の価値だと思っていた。

部下は聞きに来る。相田は答える。案件は前に進む。

問題はないように見えた。


気になりはじめたのは、七月の異動の内示だった。

相田は来春、別の部門に移る可能性が高いと言われた。

そのとき、頭に浮かんだのは自分の次のポストではなく、この部が来年どうなるか、だった。

四年やって、自分で判断して動ける人間が、何人育ったか。

数えてみて、相田は手が止まった。

四年前に「これどうしましょう」と聞きに来ていた顔ぶれと、いまの顔ぶれが、ほとんど同じだった。


相田は、自分が四年間やってきたことを考えた。

教えていたつもりだった。実際、聞かれれば全部答えていた。惜しんだことは一度もない。

ただ、渡していたのは答えだった。

答えを渡すと、その案件は片付く。片付くが、次に似た案件が来たとき、部下はまた聞きに来る。判断の材料も、判断の順番も、渡していなかったからだった。

教えることと、答えを言うことを、同じものだと思っていた。

そして、答えを言うのは気持ちがよかった。それも認めないといけなかった。


八月から、相田は聞かれたときに、まず質問を返すことにした。

「どうしましょう」に対して、「お前ならどうする」と返す。

最初の数回は、面倒な上司になった気分だった。部下も戸惑っていた。答えを持っている人間が、わざと出さないのは意地悪に見える。

四回目くらいから、部下のほうが先に案を持ってくるようになった。

「担当で止まりそうなので、部長決裁に上げてもらおうと思うんですが、どうですか」

相田は「それでいい」と言った。

三十秒で終わった。答えを言っていたときと、かかる時間は同じだった。


続かなかったのは、九月の後半だった。

期末で案件が重なって、相田は全部に即答した。質問を返す余裕がなかった。

十月に戻そうとしたが、部下のほうが先に聞き方を戻していた。案を持ってこなくなっていた。

一か月で崩れた。

相田は、自分のやり方に問題があったことに気づいた。急ぎの案件でも質問を返そうとして、無理だから全部やめていた。

十一月から、先に宣言することにした。

「これは急ぎだから答えを言う」

そう言ってから、答える。

急ぎでないものは、「これは考えてきて」と言う。

どちらなのかを最初に伝えるようにしてから、崩れなくなった。部下も、いま試されているのか、単に急いでいるのかが分かる。


翌年の三月、相田は異動になった。

引き継ぎの一か月で、相田がやったのは、判断の順番を紙に書き出すことだった。どういう案件のとき、何を先に確認して、どこで上げるか。

八か月前なら、書けなかったと思う。自分がどう判断しているかを、言葉にしたことがなかったからだった。質問を返すようになって、部下に説明するたびに、自分の頭のなかが少しずつ整理されていた。

育ったのは部下だけではなかった。


最後の週、若手が資料を持ってきた。

「部長、これ、先方の担当で止まると思うので、先に部長決裁のルートを確認しました。それで進めていいですか」

相田は書類を三十秒見て、うなずいた。

「それでいい」

言うことは、四年前と同じだった。

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。