Story

代理店営業が、提案の前に黙った話

広告代理店 営業7年目・30代後半 やる気

提案書は四十二枚あった。

三週間かけて作った。競合の分析を入れて、ターゲットの再定義を入れて、施策を三案並べて、それぞれに想定効果まで付けた。デザイナーにも二回直してもらった。

説明は五十分で終わった。

先方の宣伝部長は、最後まで丁寧に聞いてくれた。そして言った。

「よくできてますね。社内で検討します」

三ノ宮は、その言葉を過去に何度も聞いていた。検討された記憶は、あまりない。


中堅の広告代理店で、営業を七年やっている。三十八歳。

通らない理由は、いつも同じ気がしていた。中身が足りない。もっと調べれば、もっと具体的なら、もっと数字が出せれば通る。

だから毎回、前より厚い提案書を作った。

三十二枚が三十八枚になり、四十二枚になった。通る確率は、変わらなかった。


その日の帰り、駅までの道で、同行していた後輩の岸が言った。

入って三年目の、まだ提案を任されていない子だった。

「三ノ宮さん、部長が最初に言ってたやつ、どうします?」

「最初?」

「打ち合わせの最初のほうで、上が急に方針変えて困ってるって言ってましたよね。あれ」

三ノ宮は、覚えていなかった。

正確には、聞いた記憶はあった。雑談だと思っていた。本題の前の、場を温めるための話だと。

岸はメモ帳を開いて、こう続けた。

「『去年の予算組みが通らなくて、今年は説明できる企画じゃないと上げられない』って。それ、けっこう大事な気がして」

三ノ宮は立ち止まった。

四十二枚の提案書には、その話が一行も入っていなかった。


三ノ宮は、自分の提案書を思い返した。

競合分析。ターゲットの再定義。施策三案。想定効果。

全部、自分が調べたことだった。

相手が言ったことは、一つも入っていない。

提案していたのは、相手の課題への答えではなかった。自分が三週間かけて作った案だった。それを、相手の課題に見えるように包んでいただけだった。

宣伝部長が困っていたのは、施策の中身ではなかった。上に説明できる形になっていないことだった。

四十二枚は、説明する側にとっては重すぎる。部長はこれを持って役員会に行かない。

「よくできてますね」は、たぶん本心だった。よくできていて、使えなかった。


次の案件から、三ノ宮は提案書を作る前に、相手の言葉を書き写すことにした。

打ち合わせのメモから、相手が実際に使った言い回しをそのまま抜き出す。要約しない。自分の言葉に直さない。

「説明できる企画じゃないと上げられない」

これを提案書の一枚目に置いて、そこから逆算して作る。

枚数は減った。次の提案は十四枚だった。


その提案は通らなかった。

次も通らなかった。

三ノ宮は、二回目で自信をなくして、三回目は元のやり方に戻した。三十枚を超える提案書を作って、持っていった。

その提案も通らなかった。

四回目の前の晩、三ノ宮は自分のメモを見返して、あることに気づいた。

相手の言葉を書き写した回は、二回とも、次の打ち合わせが設定されていた。厚い提案書を持っていった回は、「検討します」で終わっていた。

通ってはいない。ただ、話が終わっていなかった。


続けるのは難しかった。

相手の言葉を書き写すには、打ち合わせ中にメモを取らないといけない。三ノ宮は、話しているあいだにメモが取れない。話すのに集中すると、聞くほうが止まる。

だから、岸を連れていくことにした。

自分が話しているあいだ、岸が相手の言葉を拾う。終わったあと、駅までの道で照合する。

ひとりでは続かなかったことが、二人だと続いた。


半年で、通ったのは二件だった。

劇的な数字ではない。前の半年は一件だったので、一件増えただけとも言える。

変わったのは、通らなかったときに理由が分かるようになったことだった。

前は「中身が弱かったのかもしれない」で終わっていた。いまは、どの言葉を拾い損ねたかが分かる。分かると、次の打ち合わせで聞ける。


会議室に入る前、廊下で岸がメモ帳を出した。

「今日、前回の『現場が使いこなせない』ってやつ、確認しますか」

三ノ宮はうなずいて、提案書を鞄に入れたままにした。

今日は、先に聞く。

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。