Story
係長が、月次報告に数字をひとつ足した話
面談は十五分で終わった。
会議室を出て、階段の踊り場まで来たところで、河本は足を止めた。窓の外に、工場の第二棟の屋根が見えている。
四十二歳。生産技術の係長。この会社に十九年いる。
課長は、悪い人ではなかった。
言い方も丁寧だった。ただ、面談の途中でこう言った。
「河本さんは安定してるんだけどね。今期、これっていう成果が挙がってこないんだよな」
河本は、その場では「そうですね、来期は」と答えた。答えながら、頭のなかでは今期やったことが順番に出てきていた。
ラインの段取り替え時間を短縮した。不良の再発防止で、検査工程の順番を入れ替えた。若手が三人入ってきたので、作業手順書を全部書き直した。他部署から回ってきた設備トラブルを、四件ほど拾って処理した。
やっていないわけではなかった。
それが一つも、課長の口から出てこなかった。
河本は、月報を毎月出していた。十九年、一度も欠かしていない。
家に帰ってから、今期の月報を六か月分、印刷して並べてみた。
読み返して、少し呆然とした。
どの月も、同じような文章だった。
「ライン改善を継続的に実施。作業効率の向上に努めた」
「若手教育について、手順書の整備を進めた」
「設備トラブルに対応し、生産への影響を最小限に抑えた」
間違ってはいない。全部やった。ただ、六か月分を並べると、どれがどの月か区別がつかない。
河本は、自分が何を提出していたのかを理解した。
やったことではなく、やった種類を提出していた。
「継続的に実施」した段取り替えの短縮は、実際には十八分が十一分になっていた。一日十二回替えるので、一日で八十四分。月に換算すると三十時間近い。
その数字は、河本の手元のノートには書いてあった。月報には書いていなかった。
書かなかったのは、自慢しているように見えるのが嫌だったからだ。
数字を出すと、それを狙ってやったように見える。実際は、現場が困っていたから直しただけだった。困っていたことを直すのは、係長の仕事であって、成果として掲げるものではない。
河本はずっとそう思っていた。
そう思っているあいだ、課長のところには「継続的に実施」という言葉だけが届いていた。
河本は、翌月の月報から、数字を一つだけ入れることにした。
全部を数字にするのは無理だし、そこまでやると本当に嫌味になる。一つだけ。その月にいちばん効いたことを一行、数字付きで書く。
「段取り替え:18分→11分(1日12回・月換算で約28時間の余裕)」
あとは今まで通りにした。
翌月の月次会議で、課長が河本の名前を出した。
「河本さんとこ、段取りで月二十八時間浮いてるらしい。第三ラインでも同じことできないか」
河本がやったことは、先月と何も変わっていなかった。書き方だけが変わっていた。
三か月目に、書けなくなった。
その月は、目立った改善がなかった。トラブル対応と手順書の直しで終わった月で、数字にできることが見つからない。
河本は結局、数字の行を空けたまま出した。
次の月も同じだった。書くことがない月に、無理やり数字を作るのは違うと思った。
四か月目、河本は数え方を変えた。
改善だけを数字にしようとするから書けない。防いだことも数えることにした。
「設備トラブル4件を当日中に処理(ライン停止ゼロ)」
止まらなかったことは、何も起きなかったように見える。実際には、四回止まりかけている。
河本はノートを見返して、自分が何回止めなかったかを数えた。半年で十九回あった。
翌年の面談で、課長は言った。
「河本さん、今期は動いてくれたね」
河本は、去年と同じくらい働いた。むしろ、去年のほうが忙しかったかもしれない。
そう言おうかと思って、やめた。言っても仕方がない。
代わりに、こう聞いた。
「うちの若手も、月報の書き方を変えていいですか」
課長は、少し不思議そうな顔をしてから、いいよ、と言った。
階段の踊り場から、工場の第二棟の屋根が見える。
河本はノートを開いて、今月の一行を探した。
三行目に、走り書きがある。「検査順の入れ替え、不良の流出ゼロ、三か月継続」
これでいい、と思った。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。