Story
開発3年目が、15分ルールを決めた話
夜の九時をすぎると、フロアの照明が半分落ちる。人感センサーの範囲から外れた列は暗いままで、佐倉のいる島だけが白く残っている。誰かが席を立つたびに、その一角がぼんやり明るくなって、また消える。
モニタには、三日前から同じログが出ている。
金融系の保守案件だった。夜間バッチが月末だけ落ちる。テスト環境では再現しない。本番のログには、意味のわからないタイムアウトだけが残る。佐倉は入社三年目で、この案件の担当になって一年になる。
原因は、たぶん自分の理解が足りていないところにある。それはわかっていた。
先輩の中田は、隣の島にいる。席にいる時間は一日のうち二時間くらいで、あとは打ち合わせで消える。佐倉が「ちょっといいですか」と言えるタイミングは、たしかにあった。何度もあった。
そのたびに、やめた。
三年目で聞くことか、と思った。一年目なら聞ける。二年目でもまだ聞ける。三年目は、調べてから聞くべき年次だと思っていた。それに、中田は忙しい。自分が十五分調べれば済む話で、相手の三十分を使わせるのは違う。
そう思って、水曜から金曜まで調べた。
金曜の夕方、進捗の共有で、佐倉は原因未特定のままだと報告した。課長は画面から目を離さずに、一拍おいてから言った。
「なんで水曜に言わなかったの」
怒鳴られたわけではなかった。むしろ静かだった。だから、余計に残った。
次の週の火曜日、佐倉は自販機の前で、隣のチームの新人が中田をつかまえているのを見た。
「これ全然わからないんで、教えてもらっていいですか」
あまりにも軽く言うので、佐倉は少し驚いた。中田は「どれ」と言って、その場でノートPCを覗き込み、二、三度スクロールして、指を止めた。
「あー、これ設定が二重になってる。ここ」
五分もかからなかった。新人は「ありがとうございます」と言って戻っていった。中田は自販機でコーヒーを買って、何事もなかったように歩いていった。
佐倉はその場に立っていた。缶を取り出すのを忘れていた。
その週末、同期の三人で飲んだ。別々の会社に入った三人で、年に何回か集まる。
製造系の会社にいる山際が、途中でこんなことを言った。
「俺、十五分で聞くようにしてる」
佐倉が理由を訊くと、山際は枝豆をつまみながら答えた。
「自分のためじゃなくて。三日黙ってると、結局まわりが尻拭いすることになるから。十五分で聞くほうが、みんなの時間としては短いんだよ」
佐倉は、自分が何を守っていたのかを考えた。
三年目のプライドだと思っていた。相手の時間への配慮だと思っていた。でも、三日調べて出せなかった報告は、金曜の夕方に課長の時間を奪い、週明けのチームの予定を組み直させた。自分が黙っていた三日間は、誰の時間も節約していなかった。
黙って抱えるのは、誠実さではなかった。ただ、聞くのが怖かっただけだった。
月曜から、佐倉は十五分ルールを始めた。
手が止まったら、スマホのタイマーを十五分でセットする。鳴るまでに解決しなければ、Slackに書く。それだけの決まりにした。
最初の一週間はできた。三回聞いて、三回とも十分以内に解決した。中田は「なるほどね」とか「それ俺も踏んだ」とか言うだけで、呆れる様子はまったくなかった。
崩れたのは二週目だった。
中田が炎上案件に入って、Slackのアイコンが常に会議中になっていた。佐倉はタイマーが鳴っても、書かなかった。書けなかった、と言うほうが近い。この状況で自分の質問を投げるのは、と思った。
三日空いた。前と同じだった。
金曜の朝、佐倉はSlackの下書きに、文章の型を保存した。
十五分詰まりました。
やりたいこと:
試したこと:
今の状態:
手が空いたときで大丈夫です。
怖いのは、聞くことそのものではなかった。何をどう書けば失礼にならないか、その一文目を毎回ゼロから考えるのが重かった。型を先に置いてしまえば、埋めるだけになる。埋めるだけの作業なら、疲れている日でも手が動く。
そして最後の一行があると、相手の時間を奪っている感じが薄れた。それが自分にとっては大きかった。
月末のバッチは、その月も落ちた。
佐倉はタイマーをセットし、鳴る前に下書きを開いて、四行を埋めて送った。中田から返事が来たのは四十分後だった。
「それ、去年別の案件で見たわ。件数が閾値超えるとコネクション使い切る。設定値どこ見てる?」
二往復で場所がわかった。直したのは一行だった。
三日かけて見つけられなかったものが二時間で片付いたことについて、佐倉は特に感動しなかった。ただ、去年の別案件のことを自分が知っているはずがないな、と思っただけだった。調べても出てこないものは、やはり調べても出てこない。
その週の面談で、中田が思い出したように言った。
「最近、聞き方うまくなったよね。あれ助かる」
佐倉は、うまくなったのは聞き方であって自分ではないな、と思った。それでも悪い気はしなかった。
夜の九時。フロアの照明は、今日も半分落ちている。
手が止まったので、佐倉はタイマーをセットした。十五分。
八分で解決したので、質問は送らなかった。タイマーを止めて、帰り支度をはじめた。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。