Story

信用金庫の渉外が、土曜の朝に予定を決めた話

信用金庫 渉外担当・30代後半 疲れ

日曜の夜、九時を過ぎたあたりから、宮下は時計を見る回数が増える。

見たところで何も変わらない。それでも見る。十時になり、十一時になり、寝たほうがいいと分かっているのに、テレビを消せない。

消したら、明日が来てしまう気がする。


宮下は三十八歳。地方の信用金庫で、渉外を十二年やっている。

担当は市の北側の地区で、小さな工場と、代替わりの近い商店が多い。訪問先は五十社ほど。数字は月末で締まる。

仕事が嫌いなわけではなかった。訪問先の社長に世間話をされるのは、むしろ楽しいほうだ。

ただ、日曜の夜だけが、毎週きちんと重い。


妻には「金曜の夜はあんなに機嫌がいいのに」と言われる。

そのとおりだった。金曜の夜と土曜の午前中は、宮下は別人のように元気だった。土曜の午後から少しずつ下がって、日曜の昼を過ぎると、もう何もしたくなくなる。

だから宮下は、日曜をなるべく静かに過ごすようにしていた。予定を入れず、家にいて、休む。それが正しいと思っていた。

休んでいるのに、月曜が近づくほど重くなるのは、休み方が足りないからだと思っていた。


きっかけは、義父の一言だった。

正月に妻の実家に行ったとき、七十を過ぎた義父が、庭の道具を片付けながらこう言った。

「わしは日曜の夕方に、月曜の分の草刈りの段取りだけ決めとった。決めとかんと、寝るときに考えてまうでな」

宮下は、はい、と返事をして、それきり忘れていた。

思い出したのは、二月の日曜の夜だった。十一時にテレビを消して、布団に入って、目を閉じてから、頭のなかで月曜の訪問先を三軒ぶん順番に並べていた。

並べても、明日にならないと何も始まらない。分かっているのに、並べていた。


宮下が気づいたのは、翌週の日曜の夜だった。

重いのは、月曜に嫌なことがあるからではなかった。月曜に何があるのかを、思い出せないからだった。

金曜の夕方、宮下は手帳を閉じて会社を出る。そこから月曜の朝まで、仕事の中身を一度も見ない。見ないから、忘れる。忘れたまま日曜の夜になると、頭は「何か忘れているかもしれない」を探しはじめる。

探しても、手帳が手元にないので確認できない。確認できないから、探し続ける。

耐えていたのは、そこだった。


宮下は、日曜の夜にやることを変えようとした。

日曜の夜に手帳を開いて、月曜の予定を確認する。合理的に思えた。

一度やって、やめた。

日曜の夜に手帳を開くと、確認だけでは済まなかった。あの件はどうなっていたか、あの社長に連絡していないな、と次々に出てくる。しかも日曜の夜には、何も手を打てない。

思い出すだけ思い出して、何もできずに寝ることになった。前より悪かった。


宮下は、時間を前にずらすことにした。

土曜の朝、まだ機嫌がいいうちに、十分だけ手帳を開く。

月曜にやることを三つだけ書き出して、そのうち一つに「これは電話一本で終わる」と書き添える。それだけで閉じる。

土曜の朝なら、思い出しても慌てない。まだ二日ある。


最初の月は、続かなかった。

土曜の朝は、家の用事がある。子どもの習い事の送りがあり、買い物があり、十分がなかなか取れない。三週目には忘れた。

宮下は、手帳を持ち出すのをやめた。

代わりに、金曜の帰りに手帳を鞄から出して、玄関の靴箱の上に置くようにした。土曜の朝、子どもを送り出すときに必ず目に入る。

置き場所を変えただけだった。それで続くようになった。


三か月ほどして、宮下は日曜の夜に時計を見なくなっていることに気づいた。

正確には、見る回数が減った。ゼロにはならない。月末が近い週や、こじれている案件がある週は、やはり重い。

ただ、重さの種類が変わっていた。

前は「何か分からないものが待っている」重さだった。いまは「あの件が面倒だ」という重さになった。名前がついている分、扱いやすい。


夏になって、宮下は後輩に同じことを話してみた。

入って三年目の子が、月曜の朝にいつも顔色が悪かったからだ。

「土曜の朝に十分だけ、月曜の三つを書いとくといい」

後輩は「休みの日に仕事のこと考えたくないっす」と言った。宮下も、去年までそう言っていた。

「考えんでええ。書いたら閉じる。考えるのは月曜でええ」

後輩がやったかどうかは、聞いていない。


日曜の夜、宮下はテレビを消して、風呂に入るようになった。

月曜が来ないでほしいと思う気持ちは、いまもある。

ただ、月曜に何が待っているかは、もう知っている。知っていることは、待っていても怖くならない。

靴箱の上に、手帳が置いてある。土曜の朝に開くまで、それはそこにある。

この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。