Story
店長が、一日ひとつだけ手放した話
閉店後のバックヤードは、蛍光灯が一本切れかけていて、十秒に一度ちらつく。
宮下はレジ締めの用紙を三枚めくって、数字を合わせた。二十二時十五分。今日も、バイトを先に帰した。
駅ビルに入っている雑貨チェーンの店で、店長になって二年目になる。スタッフは社員が自分ひとりと、アルバイトが九人。
宮下は、仕事が速い。
発注は十五分で終わる。棚替えの図面は頭のなかにある。クレーム対応も、だいたい五分で収まる。
だから全部やっていた。
アルバイトに発注を教えると、三十分かかる。覚えるまで一週間かかる。その間に間違えたら、欠品が出る。自分でやれば十五分で、間違いもない。
自分でやったほうが早い。それはたぶん、合っていた。
合っていたから、二年たっても状況は同じだった。
倒れたわけではない。ただ、十月の頭に、宮下は棚卸しの日付を間違えた。
本部への提出が一日遅れた。エリアマネージャーからの電話は、怒っているというより、心配している声だった。
「宮下さん、いま何人回してます」
「九人です」
「社員は」
「……自分だけです」
電話を切ってから、宮下は自分がその質問に答えるまでに二秒かかったことが気になった。すぐ出てこなかった。数えないと分からないほど、人のことを見ていなかった。
その週の土曜、アルバイトの澤田が声をかけてきた。
大学三年で、入って一年半になる。落ち着いていて、レジの手も速い。
「店長、発注って難しいですか」
宮下は反射的に「難しいよ」と答えかけて、止まった。
澤田は続けた。
「就活で、在庫管理やったことあるかって聞かれて。うち、やらせてもらえないですって答えたんですけど、なんか、それ言うのちょっと悔しくて」
宮下は何も言えなかった。
やらせてもらえない、という言葉が、その日ずっと残った。
宮下は、自分が何を守っていたのかを考えた。
効率だと思っていた。教える時間より、自分でやる時間のほうが短い。それは正しい。一日で見れば正しい。
ただ、二年やって、一日ぶんの正しさを七百回積み上げた結果が、今だった。
発注ができるのは自分だけ。棚替えができるのも自分だけ。休むと店が回らない。だから休まない。休まないから、教える時間がない。
自分でやったほうが早い、は正しかった。正しいまま、行き止まりだった。
月曜から、宮下は一日ひとつだけ渡すことにした。
全部は無理だと最初から決めた。一日にひとつ。今日は検品、明日は日報、その次は発注の一部。渡したら、その日はもう自分でやらない。
最初の一週間は、正直、遅くなった。
澤田に検品を教えるのに四十分かかって、その日は閉店が二十分遅れた。二日目は、日報の書き方を説明しながら、結局半分は自分で書いた。
三日目に、宮下は自分が横から手を出していることに気づいて、レジの奥に引っ込んだ。
崩れたのは、二週目の木曜だった。
クレームが立て込んだ日で、宮下は朝から動きっぱなしだった。その日は誰にも何も渡さなかった。渡す余裕がない、と思った。
金曜も渡さなかった。土日は忙しいから、と自分に言い訳をした。
月曜、宮下は事務所のホワイトボードの隅に、七つのマスを書いた。
曜日ごとに一マス。その日に渡したものを、一言だけ書く。「検品/澤田」でいい。
空白のマスが二つ並んでいるのを見るのは、思ったより嫌だった。
忙しい日ほど渡せない、というのが自分の癖だと分かってからは、朝のうちに決めるようにした。忙しくなってから考えると、渡さない理由がいくらでも出てくる。
三か月たった。
売上が伸びたわけではない。むしろ十一月は前年を少し割った。
変わったのは、宮下が二日続けて休んだことだった。
休んだ日、澤田から一度だけ電話が来た。発注の締め時間の確認だった。三十秒で終わった。
戻ってみると、店は回っていた。棚は少し宮下のやり方と違っていて、雑貨の並びが自分ならこうしないという配置になっていた。
宮下は直さなかった。
直したくなったのは事実で、手が伸びかけたのも事実だった。ただ、直すと、次から誰も並べなくなる気がした。
閉店後のバックヤード。切れかけの蛍光灯は、先月ようやく交換された。
宮下はレジ締めの用紙をめくって、澤田が書いた数字を確認した。合っている。
二十一時四十分。今日は、自分が先に帰る。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。