Story
学習塾の教室長が、評価面談で結果を先に言った話
授業が終わった教室に、ホワイトボードのマーカーの匂いが残っていた。
川崎は、講師用の机に、評価シートを広げた。明日の十九時から、講師の面談が三人続く。その最後が、入社三年目の吉田だ。
評価は、B−。期待には、少し届かなかった。
川崎は、シートの端を指でなぞった。伝え方は、決まっていない。
去年の面談を、川崎は、思い出していた。
同じ吉田に対して、川崎は、二十分かけて、いい点を並べた。授業の分かりやすさ。生徒との距離の取り方。保護者からの評判。
最後の五分で、小さな声で、言った。
「ただ、評価としては、今回は、Bにさせてもらった」
吉田は、「はい」と言った。表情は、変わらなかった。
帰り際に、「ありがとうございました」と頭を下げた。
川崎は、そのときは、うまくいったと思った。
その年の夏、吉田は、他の塾から、声がかかっていることを、同僚に話していた。
川崎の耳に入ったのは、一か月後だった。話は、結局、立ち消えになったらしい。ただ、川崎は、同僚から、吉田が、こうこぼしていたと聞いた。
「去年の面談、結局、何が足りなかったのか、分からなかった」
川崎は、その言葉を、しばらく、頭のなかで転がした。
二十分かけて、いい点を言った。それは、優しさのつもりだった。ただ、吉田は、最後の五分の「B」だけを、受け取っていた。
そして、なぜBなのかを、聞けないまま、帰っていた。
面談の前日、川崎は、メモを書いた。
順番を決めた。
最初に、本人に、振り返りを聞く。次に、事実を、具体的に。結果は、理由の前に言う。最後は、次の半年の話で、終える。
「全体的に良かった」は、使わない。出来事で話す。四月の保護者面談の対応。九月の振替授業の調整の遅れ。
最後に、一行、書いた。
「結果は、前半に言う」
面談は、十九時四十分に始まった。
吉田は、少し緊張した顔で、椅子に座った。
「今期を、振り返って、どうだった」
吉田は、考えてから、言った。
「授業は、よくなったと思います。ただ、事務作業が、後回しになりがちでした」
川崎は、頷いた。本人の見方が、自分の評価と、ほぼ重なっていた。
「事実を、いくつか言う」
川崎は、出来事を二つ、挙げた。四月の保護者面談の対応。九月の、振替授業の調整が遅れて、保護者から問い合わせが入った件。
「それを踏まえて、今期の評価は、Bマイナスにした」
吉田の表情が、少し動いた。
川崎は、続けた。
「理由は、二つ。授業の質は、期待に届いている。ただ、事務の遅れが、保護者への連絡の遅れに、つながった。そこが、マイナスの理由だ」
吉田は、しばらく黙っていた。それから、顔を上げた。
「去年より、はっきり分かりました」
次の半年の話をした。
期待することを、一つだけ言った。「振替授業の調整は、前日の二十時までに、保護者に一報を入れる」。
吉田は、手帳に書いた。書き終えてから、聞いた。
「そのために、僕が、あらかじめやっておけることは、ありますか」
川崎は、少し考えた。
「前の日の夕方に、翌日の予定を、一度、見直す。それだけで、いい」
面談は、三十分で終わった。去年より、短かった。
川崎は、その後の面談でも、順番を守った。
守れなかった日が、一回あった。年度末の、疲れた夜だった。評価がAの講師で、言いやすかったので、つい、いい点から入って、結果が後ろに回った。
終わってから、川崎は、気づいた。結果を先に言わなかっただけで、話が、散漫になっていた。
そのときの講師は、特に何も言わなかった。ただ、帰り際に、「結局、A、ですよね」と、確認した。
川崎は、メモの一行を、手帳の見える場所に、書き写した。
「結果は、前半に言う」。
いい評価のときも、悪い評価のときも、同じことを、同じ順番で言う。それが、一番、分かりやすかった。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。