Story
機械メーカーの営業主任が、新しい上司に質問を5つ持っていった話
四月の最初の週、営業部のフロアは、少し音が違っていた。
新しい部長の席は、窓際のいちばん奥にある。名札は、まだ仮のままだ。
松尾は、メールの返信を打ちながら、その席のほうを、何度か見た。部長は、外から来たらしい。同業の別会社から。五十代前半。紹介の挨拶は、三分で終わった。
前の部長とは、八年、一緒に働いた。
八年のあいだ、松尾は、前の部長に、ほとんど何も説明しなくてよかった。
報告は、廊下で、一言。「A社、通りました」「B社、ちょっと難しいです」。それで、足りた。部長は、頷くだけで、何を求めているのかが、松尾には、分かった。
阿吽の呼吸だと、思っていた。
新しい部長に、同じことを、した。
三日目、廊下で、すれ違った。「部長、C社、決まりました」。部長は、足を止めて、少しだけ考えて、言った。
「それは、いつから、いくらで」
松尾は、一瞬、詰まった。
「あ、金額は、あとで」
部長は、頷いた。ただ、その頷きは、前の部長の頷きとは、違っていた。
二週間たって、松尾は、焦りを覚えた。
前の部長のとき、何も言わなくても、評価されていた。新しい部長には、何をしても、反応が薄い。評価されているのか、いないのか、分からなかった。
同期の宮本に、昼食のとき、愚痴をこぼした。
「あの人、何を見てるのか、全然分からない」
宮本は、麺を啜りながら、少し考えた。
「聞いたの」
「何を」
「何を期待してるのか。本人に」
松尾は、箸を止めた。
聞いていなかった。聞く、という発想がなかった。前の部長には、聞く必要がなかった。
その夜、松尾は、手帳に質問を書いた。
五つ。
この半年で、何ができていれば、よい状態か。仕事が三つ重なったとき、どれを優先するか。報告は、いつ、どういう形がいいか。どこまで、自分の判断で進めてよいか。前の部長と違う点で、気をつけたほうがいいことはあるか。
書いてみて、気づいた。この五つのうち、前の部長には、一度も、聞いたことがなかった。
聞かなくても、分かる、と思っていた。実際は、分かる、のではなく、前の部長が、松尾に合わせてくれていた。
翌週の水曜、松尾は、部長に、三十分、時間をもらった。
会議室の窓から、駐車場のトラックが見えた。
「前の部長のやり方と、違うところがあると思うので、確認させてください」
部長は、少し意外そうな顔をした。それから、頷いた。
五つ、順番に聞いた。
部長の答えは、いずれも、具体的だった。報告は、週一回、金曜に、A4一枚。数字と、案件の状態。廊下の一言は、緊急のときだけでいい。判断は、百万円以下の見積りなら、自分で進めてよい。それ以上は、前日までに、相談を入れる。
松尾は、メモを取った。ペンが追いつかないほどだった。
最後に、部長は、言った。
「こういう質問をしてくれる人は、あまり、いないんだ」
松尾は、返事に困った。
「前の部長が、全部、察してくれていたので。聞いたことが、なかったんです」
部長は、少しだけ笑った。
戻るのは、早かった。
五月の連休明け、松尾は、案件が重なって、金曜の報告を、一回飛ばした。次の週は、書いたが、A4を二枚に膨らませた。部長は、何も言わなかった。
ただ、その翌週の金曜、部長から、一言だけ、メールが来た。
「一枚に、まとめてもらえると助かります」
松尾は、メールを読んで、少し、笑った。怒られたのではなかった。最初の面談で、聞いていた。自分が、守らなかっただけだった。
その週から、松尾は、報告用の雛形を、デスクトップに、置いた。
一か月後、松尾は、もう一度、部長に、時間をもらった。
「最初の一か月を終えて、いまのやり方で、合っていますか」
「合ってる。むしろ、助かってる」
部長は、少しだけ、間を置いた。
「もう一つ、やってほしいことがある。新人の同行を、月に一回」
松尾は、頷いた。
その場で、メモを取った。前の部長のときには、いちども、書いたことのない欄に。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。