Story
設備工事会社の工事課長が、遅刻の罰金をやめた話
朝七時四十分。倉庫の前に、トラックが二台並んでいた。
積み込みの始まる時間は、七時四十五分と決まっている。工事課長の安藤は、腕時計を見た。七時四十四分。若手の二人が、まだ来ていない。
この三か月、朝の遅れが目立っていた。一人が一分、二分遅れる。それが重なって、現場への到着が毎日、少しずつ押される。
安藤は、朝礼で言った。
「遅刻一回につき、五百円。この箱に入れてもらう」
倉庫の隅に、菓子の空き缶を置いた。「罰金箱」と、ガムテープに書いた。
誰も、何も言わなかった。
最初の週は、遅刻が減った。
安藤は、少し安心した。空き缶に硬貨が入る音が、朝の合図のようになった。
二週目から、様子が変わった。
若手の吉村が、七時五十分に走ってきた。缶に五百円玉を入れて、軽く手を挙げた。
「すみません、払いました」
「……払ったから、いい、ということじゃない」
「あ、はい」
吉村は、悪びれた顔ではなかった。ただ、これで済んだ、という顔だった。
三週目には、遅れる人が増えた。安藤は、缶の中身を数えた。一か月で、一万二千円。
決まりを作る前より、遅刻は、確実に多くなっていた。
古株の職人、西が、休憩のとき、ぽつりと言った。
「課長、あれ、やめたほうがいいよ」
「罰金か」
「前はさ、遅れると、みんなに悪いって思ったもんだ。いまは、五百円払えば、それで終わりだろう」
安藤は、返事をしなかった。
遅れた人が、申し訳なさそうに頭を下げていた頃のことを、思い出した。あれが、いつの間にか、消えていた。
自分が、消した。
翌週の月曜、安藤は、朝礼で、缶を持って立った。
「罰金は、やめる」
吉村が、目を上げた。
「それから、理由を、ちゃんと言う。積み込みが遅れると、現場の着工が遅れる。着工が遅れると、お客さんの営業時間に、工事がかかる。そうなると、先方の店が、開けられなくなる日がある」
安藤は、一人ずつの顔を見た。
「それが、困る。だから、時間に来てほしい。それだけだ」
缶は、事務所の棚に戻した。ガムテープは、剥がした。
遅れは、すぐには元に戻らなかった。
二週間たっても、七時四十五分ちょうどに全員が揃う日は、少なかった。
それでも、ある朝、吉村が、七時三十五分に来て、先にトラックの養生を始めていた。
安藤は、何も言わずに、様子を見た。それから、少しだけ近づいた。
「今日は、早いな。助かる。養生が済んでいると、出発が十分、早くなる」
吉村は、はい、と言った。声が、少し照れていた。
缶は、棚の上で、夏のあいだ、埃をかぶっていた。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。