Story
リフォーム会社の営業が、見積もりの残りをスタンプカードにした話
机の左端に、見積書の束がある。
リフォーム会社の営業、中川は、その束を、一週間見ないようにしていた。
お客さんに出して、返事をもらっていない見積書。二十件。電話をして、反応を確かめて、必要なら修正を出す。やることは、分かっている。
分かっているのに、手が動かない。
二十件。そう思うと、最初の一件に、何かが引っかかる。
金曜の夕方、先輩の高梨が、中川の机の前で、足を止めた。
「それ、全部、出したやつ?」
「はい。返事待ちで」
「数、数えてる?」
「二十件、です」
「二十件、じゃなくてさ」
高梨は、机の端に置いてあった、コーヒーショップのスタンプカードを取り上げた。十個のマスが並んでいる。
「これ、八個押したら、あと二つで無料だろう。そうなると、急に、もう一杯、飲みたくなる。人間って、そういうもんだ」
「はあ」
「残りが、見えるといいんだよ。あと何件か、じゃなくて、終わりまで、どれくらいか」
中川は、その夜、A4の紙に、二十個のマスを描いた。
縦に五つ、横に四つ。マスの隣に、お客さんの名前を一つずつ書いた。
紙は、パソコンの横に貼った。
月曜の朝、一件目に電話をした。出なかった。留守番電話に、一言だけ残した。マスの一つに、斜線を引いた。
「連絡した」で、一つ塗る。そういう決めにした。返事をもらえなくても、塗る。
火曜に、四件。水曜に、五件。
紙の上で、白いマスが、少しずつ、減っていく。
不思議なことが、あった。
前半の十件より、後半の十件のほうが、早かった。
残りが半分を切ったあたりから、電話をかけるまでの時間が、短くなった。「あと六つ」と思うと、次の一件を、さっさと済ませたくなった。
最後の三件は、午前中に終わった。
中川は、紙を見た。全部のマスが、斜線で埋まっていた。
返事が来たのは、そのうちの七件だった。成約は、二件。残りは、見送りか、保留だった。
結果は、特別によかったわけではない。
ただ、机の左端の束が、消えた。
翌月も、中川は、紙を描いた。
今度は、マスを十五個にした。二十件を、二回に分ける。半分の十個ずつなら、手が動いた。
高梨に、聞かれた。
「また、スタンプか」
「はい。今日で、あと三つです」
高梨は、鼻で笑った。それから、自分の机から、無料券の付いたコーヒーカードを、そっと中川の机の端に置いた。
「それ、塗り終わったら、これ、使え」
中川は、黙って受け取った。紙の上の残りのマスは、あと、三つだった。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。