Story
自動車ディーラーのサービス課長が、自分の話を質問で終わらせた話
サービス工場は、午後になると、オイルの匂いが濃くなる。
桐山は、ピットの脇の小さな事務室で、手帳を閉じた。四十分の1on1が終わったところだった。
相手は、入社三年目の整備士、長谷川。腕はいい。車検の仕上がりに、お客さんから名指しで礼を言われたこともある。
手帳を開き直した。長谷川の欄は、ほとんど空白だった。
代わりに、びっしり書いてあるのは、自分の話だった。先月の入庫ラッシュの乗り切り方。若い頃に、整備の順番を間違えた失敗談。工場長に言われたこと。
どれも、役に立つはずの話だった。
長谷川は、いつも、「はい」「そうですね」と言って聞いていた。
最後に「何かある?」と聞くと、「大丈夫です」と答えた。桐山は、それを、順調のしるしだと受け取っていた。
気づいたのは、後輩の整備士が、更衣室で話しているのが、ドア越しに聞こえたときだった。
「課長の話、全部、合ってるんだけどな」
長谷川の声だった。
「なんか、言う隙がないんだよな」
桐山は、廊下で立ち止まって、そのまま事務室へ戻った。怒る気には、ならなかった。思い当たることが、多すぎた。
次の1on1の前に、桐山は、手帳の見開きの左上に、書いた。
「三十秒」
自分の発言が、三十秒を超えたら、質問で終える。それだけ決めた。時計は見ない。頭の中で、数えるだけにした。
会議室ではなく、いつもの事務室で、長谷川と向かい合った。
最初の五分で、桐山は、二回、数え損ねた。気づいたら、一分近く話していた。慌てて、言葉を切った。
「……長谷川は、どう思う」
沈黙が、事務室に落ちた。桐山は、その沈黙が、ひどく長く感じた。時計の秒針の音が聞こえる。工場の向こうで、インパクトレンチが鳴っている。
五秒、待った。
「……入庫の受け渡しで、お客さんへの説明が、長くなることがあります」
桐山は、驚いて、口を開けそうになった。
「長くなる」
「全部、説明しないといけない気がして。でも、聞かれてないことまで話して、お客さんが、困った顔をするんです」
桐山は、返事に詰まった。それは、今の自分のことでもあった。
その日の1on1は、三十分で終わった。
最後の五分は、長谷川に、持ち帰りを言ってもらった。「今日、何を持って帰る?」
「説明は、結論と、お願いだけにして、残りは聞かれたら話します」
それは、桐山が、昔から長谷川に言いたかったことと、ほとんど同じだった。
ただ、自分の口から出たら、助言になる。長谷川の口から出たから、約束になった。
桐山は、手帳に、長谷川の欄を一行、書いた。
「説明は、結論とお願いだけ」
自分の話は、書かなかった。
三十秒を守れない日も、ある。
忙しい日は、つい、経験談が長くなる。そういうとき、桐山は、話の終わりに、ひとこと足す。
「……長谷川の場合は、どうだろう」
長谷川は、少し間を置いて、話し始める。
工場の奥で、ピットのリフトが上がる音がした。事務室の窓から、午後の光が、手帳の白い部分に当たっていた。
この物語はフィクションです。実在の人物、団体、企業とは関係ありません。